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オバマ米大統領 就任演説全文

オバマ米大統領 就任演説全文

 市民の皆さん。

 わたしは今日、謙虚な思いで任務を前にし、皆さんが寄せてくれた信頼に感謝し、祖先たちが払った犠牲に心を留めながら、ここに立っている。ブッシュ大統領のわが国への奉仕、ならびに(政権)移行の間示してくれた寛容さと協力に感謝する。

 これまで、44人の米国人が大統領就任の宣誓を行った。その言葉は繁栄の高まりのとき、平和で静かなときに語られてきた。だが、多くの場合、誓いは立ち込める暗雲や猛威を振るう嵐の中で行われたのだ。こうしたとき、高位の者たちの技量や考え方に頼ることなく、われわれ人民が祖先の理想に忠実で建国の文言に従ってきたからこそ米国はこれまでやってこれた。

 われわれはそう歩んできたし、今の世代の米国人も同様でなければならない。

 われわれはいま危機の真っただ中にある。果てしない暴力と憎しみに対し戦争を続けている。一部の強欲で無責任な人々のせいだけでなく、皆が困難な道を選び次の世代に備えることができなかった結果、経済はひどく脆弱になってしまった。家を失い、仕事は減り、商売は行き詰まった。医療費は高過ぎ、学校制度は失敗している。われわれのエネルギーの使い方が、敵を強化し、私たちの星を脅かしているということが日々明らかになるばかりだ。

 これらは、データや統計で示すことができる危機である。計量はできないが、同様に深刻なのは、自信喪失が全土に広がっており、米国の衰退は避けられず、次の世代は下を向いて生きなくてはならないという恐怖だ。

 われわれが直面する試練は本物だ。深刻で数多くあり、容易に短期間では解決できない。だが知ってほしい、米国は克服すると。

 この日、われわれが集ったのは、恐怖より希望を、いさかいや不和を超越した共通の目的の下に団結することを選んだからだ。あまりにも長い間、この国の政治を窒息させてきた卑小な恨み言や偽りの約束、非難の応酬や使い古されたドグマ(教義)に別れを告げる。

 われわれの国はまだ若いが、聖書の言葉にあるように、子供じみたまねをやめるときだ。忍耐の精神を再び掲げよう。より良い歴史をつくるときだ。神の前ではすべての人民が平等で自由であり、幸福を追求するためのあらゆる機会に恵まれているという世代を超えて受け継がれた崇高な理想を実行に移すときだ。

 われわれの国家の偉大さを見直すとき、それは決して所与のものではない。つかみ取らなくてはならないのだ。われわれの旅に近道はない。その旅路は、労働より余暇を好み、富や名声による喜びのみを欲する者たちのものではなかった。むしろ、リスクを恐れず、自ら実行する者、物づくりをする者たちのためにある。一部は著名な人々かもしれない。だが、その多くは繁栄と自由へと続く長くでこぼこした道でわれわれを導いてきた、名もない労働者たちである。

 それは、語るべき所有物もなく新たな人生を求めて海を渡った人々。劣悪な環境で働き、西部に移り住み、硬い大地にすきを入れるときの衝撃に耐えてきた人々。コンコード(独立戦争)、ゲティズバーグ(南北戦争)、ノルマンディー(第2次世界大戦)、そしてケサン(ベトナム戦争)のような場所で闘い、死んでいった人々のことである。

 繰り返して言う。彼らはもがき、犠牲となり、その手が擦りむけるまで働いた。われわれがより良い人生を送ることができるようにだ。彼らの目には、アメリカは個人の野望の集積よりも大きく、出自の違いや貧富の差を超えた素晴らしい存在であり続けてきた。

 われわれは今日もこの旅を続けている。われわれは世界で最も繁栄した強い国家であり続ける。われわれの労働者はこの危機が始まったときと同様に生産的で、われわれは変わらず独創的だ。われわれの商品やサービスは先週や先月、昨年と変わらず必要とされている。われわれの能力は衰えていない。しかしやり方を変えず限られた利益を守り、嫌な決断を先送りする時代は確実に過ぎ去った。今日からわれわれは元気を取り戻し、ほこりを払い、米国を再生させる仕事に取り掛からなければならない。

 至る所にわれわれがなすべき仕事がある。(現在の)経済状態には大胆で迅速な行動が必要だ。われわれは新しい仕事をつくり出すだけでなく、新たな成長の基盤を築くために行動する。商業を潤してわれわれを結び付ける道路や橋、配電網やデジタル回線をつくる。科学を正当に位置付け直し、技術の驚異を巧みに使って医療の質を向上させ、そのコストを削減する。太陽や風力、土壌を利用して自動車を動かし、工場を稼働させる。新しい時代の要望に応じるため学校や単科大、大学を改革する。われわれはこれらをすべて成し遂げることができるし、成し遂げるだろう。

 今、われわれの野心の大きさに疑問を唱える人がいる。われわれのシステムがこれらの大きな計画に耐えられないと指摘する人がいる。しかし彼らの記憶力は乏しい。彼らはこの国が成し遂げたものを忘れている。想像力が共通の目的と結び付き、必要性が勇気と交わった時、自由な男性、女性が成し遂げることができるものを忘れている。

 皮肉屋は、彼らの足元で地面が動いたことを理解していない。長い間、われわれを消耗させた陳腐な政治議論はもはや通用しない。今日問われているのは政府の大きいか小さいかではなく、政府が機能するかどうかだ。各家庭が適正な賃金の仕事や負担できる医療、尊厳ある退職後の生活を手に入れる手助けを政府ができるかどうかだ。答えが「イエス」の時、われわれは前に進む。答えが「ノー」の時、その政策は終了する。国民のお金を管理するわれわれは、賢明に支出し、悪い慣習を改め、日の光の下で仕事ができるよう責任を持つ。なぜならそれによってのみ、人々と政府の間の不可欠な信頼関係を再生することができるからだ。

 問うべきは、市場が良いか悪いかではない。富を生み出し自由を拡大する市場の力は無類のものだ。しかしこの危機は、絶えず注視していなければ市場が制御不能になることを再確認させた。繁栄だけを望んでいると国家の繁栄は長く続かないことを再確認させた。国内総生産(GDP)の規模だけでなく、広がる繁栄の範囲が、やる気のある者に機会を与えるわれわれの力が、われわれの経済の成功を決定付けてきた。それが慈善からではなく、われわれの公益に通じる最も確実な道だからだ。

 防衛に関し、われわれの安全と理想が二者択一であるとの考えはまやかしであり、否定する。建国の父たちは、想像を超える危機に直面しながらも、法の支配と人権を保障する憲章を起草した。その憲章は何世代もの血をもって拡充された。この理想の光は今も世界を照らしており、ご都合主義で手放すことはできない。米国は、平和と尊厳を求めるすべての国、男性、女性、子どもの友人であり、大都市やわたしの父が生まれた小さな村まで、今日の日を見ている世界の人々や政府に告げたい。いま一度先頭に立つ用意があると。

 先の世代がファシズムや共産主義と対決したのはミサイルや戦車の力だけではなく、確固たる同盟関係と信念であったことを思い起こしてほしい。先の世代は、われわれの力だけではわれわれを守ることはできないし、その力で思うままに振る舞っていいわけではないことをわきまえていた。軍事力は思慮深く用いることでその力を増すことを踏まえ、われわれの安定はわれわれの大義の正しさと力強さ、そして謙虚さや自制からもたらされることを知っていた。

 われわれは、この遺産の守護者である。この信条にいま一度立ち返ることで、より大きな努力、国と国の間のより踏み込んだ協力と相互理解を必要とする新たな脅威に立ち向かうことができる。われわれは責任ある形でイラクをイラク人に委ね、アフガニスタンでは努力を惜しまず平和を築き上げる。古き友、かつての敵とともに核の脅威を減ずるための努力を重ね、地球温暖化を食い止める。われわれの生きざまを謝罪はしないし、守ることにためらいもない。そして、テロや罪のない人々をあやめて目的を達しようとする者に断言しよう。今こそわれわれの精神はより堅固であり、打ち負かされることはない。われわれは勝利する。

 寄せ集めであるわれわれの伝統は弱さではなく、力であることを知っている。われわれはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教、ヒンズー教、そして無信仰の人々の国である。この地球の至る所から来たさまざまな言語や文化がわれわれを形づくっている。われわれは南北戦争や人種差別の苦渋を味わい、暗い歴史を超え強く立ち上がり、団結を強めた。だからこそ、過去の憎しみは乗り越えられると信ぜずにはいられない。民族間の隔たりは解消され世界が小さくなるにつれ、共通の人間性が現れると。そして、米国は新たな平和の時代への先導役を務めねばならない。

 イスラム世界に対しては、相互の利益と尊重に基づき前進する新たな道を希求する。争いの種をまき、自らの社会の災難への批判を西側社会に向ける指導者たちよ。諸兄が破壊するものではなく、築き上げるもので人々の審判が下るのだ。汚職と欺き、異議を抑圧することで権力にしがみつく者たちは、歴史の流れに外れていると知れ。ただ拳を下ろすなら、われわれは手を差し伸べよう。

 貧しき国々の人々には、田畑が豊かに実るよう、清潔な水があふれるよう、共に働くと誓おう。飢えた体に滋養を注ぎ、やせ細った心を癒やすために。そして、われわれと同様、豊かさに恵まれた国々には、これ以上の無関心は許されないと訴えたい。結果を顧みずに世界の資源を浪費することは許されない。世界は変わった。われわれも共に変わらなければならない。

 われわれの前に広がる道を考える時、今この時、はるか遠くの砂漠や山々をパトロールする勇敢な米国人を感謝の意を込めて思い起こす。時を超えてささやくアーリントンに眠る英雄たちのように、彼らはわれわれに語りかける。われわれは、彼らが自由の守り神というだけでなく、奉公の精神を体現しているからこそ、自分自身よりも大きな何かに積極的に意義を見いだそうとしているからこそ、敬意を表するのだ。これこそが今、そしてこの世代を定義付ける時、われわれすべてが宿すべき精神だ。

 政府はできることやしなければならないことをするが、結局、この国がよりどころとするのは、米国国民の信念と決意だ。堤防が決壊した時に見知らぬ人を受け入れる親切心。暗黒の時に友人が仕事を失うのを見るよりは、自らの労働時間を削る労働者の無私の精神。煙に包まれた階段を突進する消防士の勇気、子どもを育てる親の意志。これらこそが最終的にわれわれの運命を決定付けるのだ。

 われわれの試練は新しいものかもしれない。それに立ち向かう手段も新しいものになるだろう。しかし、われわれの成功は、勤勉、誠実さ、勇気、そしてフェアプレーにかかっている。昔から言われていることだが、その価値は本物だ。歴史を通じて静かなけん引力であり続けてきた。必要なのは、こうした真実に立ち返ることだ。いま求められているのは、新たな責任の時代だ。困難を乗り越えるために全力を尽くすことが最も精神を満たし、人格を鍛えるのだと信じるすべての米国人が、不承不承ではなく、むしろ喜びをもって進んで責務を果たすことだ。

 これが、われわれが市民であることの対価であり、市民が果たすべき約束なのだ。

 これが、われわれの自信の源だ。不確かな運命を生き抜くよう神が授けた知識なのだ。

 それが、われわれの自由と信念の意味である。あらゆる民族と信条の男女と子どもたちが、この壮大なナショナルモールに祝福のために集まった理由であり、また、60年足らず前には地元のレストランで給仕もしてもらえなかったであろう父を持つ1人の男が、最も聖なる誓いをするために皆さんの前に立つことができた理由なのだ。

 この日を胸に刻もう。われわれが何者であり、どれほど遠く旅してきたのかを。米国誕生の年、厳寒の中で、少数の愛国者の一団がいてつく川岸で消えそうなたき火のかたわらに寄り合った。首都は見捨てられ、敵は前進し、雪は血に染まった。独立革命の実現が不確かなときに、建国の父が次の言葉を人々に読むよう命じた。

 「希望と良識のみが生き残る酷寒の中、共通の敵にさらされた都市と地方は手を取り合ったと、将来、語られるようにしよう」

 米国よ。脅威に直面した苦難の冬において、時を超えるこの言葉を記憶にとどめよう。希望と良識を胸に抱き、いてつく流れに立ちはだかり、どんな嵐にも耐えてみせよう。子孫たちにこう言い伝えられるようにしよう。試練を与えられたとき、われわれは旅を途中で終えることを拒んだ。振り返ることも、くじけることもなかったのだと。そして地平線とわれわれにそそがれた神の慈悲を見据えながら、自由という偉大な贈り物を抱き、未来の世代に無事に届けたのだと。

(共同)

日本は「オバマ・ショック」に備えよ

記者の目:日本は「オバマ・ショック」に備えよ=笠原敏彦(毎日新聞)

 1人の指導者の誕生に、世界がこれほど期待を寄せたことがあっただろうか。20日に就任するオバマ次期米大統領のことだ。ただ、日本では少々、事情が異なる。米国の「ハート」を中国に奪われはしないかと、不安なのである。大胆に予測するなら、その懸念は的中し、日本外交は緩やかな「オバマ・ショック」に見舞われ、歴史的には日米同盟の分水嶺(ぶんすいれい)として振り返られることだろう。

 オバマ外交を占う上で示唆的な話を紹介したい。アジア外交担当として次期政権入りが確実視される米国の知人から聞いた話だ。

 民主党の大統領候補指名争いが続いていた昨年3月、オバマ陣営とヒラリー・クリントン(次期国務長官)陣営の外交スタッフ約40人が南部フロリダ州のホテルに招集された。いずれも政権発足時には外交を動かす政府高官候補たち。目的は、民主党政権誕生に備えて「外交政策の一本化」を図ることだった。

 数日間の合宿論議でテーマとなったのは中国、ロシア、インドへの外交政策だった。この3カ国に焦点が絞られたのは「国際秩序の行方に影響を及ぼす国々」だからで、日本は「中国政策を論議する文脈でしか語られなかった」という。

 この事例をもって、米国の日本軽視を論じるつもりは毛頭ない。米国にとって日本は重要である。ただ、「重要」の意味は、米国の世界戦略の中で相対的にとらえなければならない。

 昨春までワシントンで米外交を担当し、外国首脳らがホワイトハウスをひっきりなしに訪れるのを見ながら、こんな日米の相関図を思い描くようになった。

 アメリカは超モテ男で、世界中から熱い視線を集める。この血の気が多いモテ男の周りには、思わせぶりな美女からしつこいストーカータイプまで、手を焼く面々が多い。ガールフレンド(同盟国)も数多いが、日本はさしずめ、ひたすら尽くす献身的タイプだ。たまに耳元で「日本は大事」とささやいておけば、3歩下がってついてくる。

 笑うなかれ。米国が昨年10月、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除した経緯を思い起こしてほしい。日本が「指定解除しないで」と懇願し続け、ブッシュ大統領も「拉致問題は忘れない」と繰り返していたのに、あっけなく指定は解除された。それでも日本は懲りもせず「日米関係の強化」を呪文のように唱え続けているのが現実ではないか。

 話は逸脱したが、オバマ政権のモテぶりはギネスブック級になりそうで、日本はジェラシーを募らせそうだ。逆説的だが、国際社会のオバマ氏への期待の高さは、ブッシュ政権下で米国のパワーの巨大さを嫌というほど思い知ったことの裏返しである。だから、一般にいう「米国の一極支配」の終幕と、「世界の多極化」という構図は必ずしも正確ではないだろう。

 世界の現状は、唯一の超大国・米国を頂点に欧州やロシア、中国、インドなどに「パワー・センター(極)」の萌芽(ほうが)が分散しているというのが実態に近い。そして、その潜在的な国力からして確実に米国と並ぶ「極」へ成長を続けているのが、中国である。

 米外交界の重鎮、リチャード・ハース外交問題評議会会長は米誌ニューズ・ウィーク新年号で指摘している。「新政権にとっての最重要課題は中国と対中外交である。米中関係次第で21世紀の世界はまったく違ったものになりかねない」。経済危機からイラン、北朝鮮の核問題、エネルギー危機まで世界が直面する問題は中国の協調なしには解決が困難なものばかりだ。

 米国の対中外交へのエネルギー傾注が必然かつ自明の理となった今、「(日米)安保堅持を叫んでいれば米外交において重要な位置付けを日本は得るという時代は終わった」(田中直毅国際公共政策研究センター理事長「中央公論」08年12月号)のである。

 日本は第二次大戦後、日米同盟のお陰で世界第2の経済大国になり得た。しかし、その過剰な依存のせいで経済力を政治・外交力に転化できなかった。米国の一極構造が溶解し始める中で、日米同盟に依存した世界観で外交を続けるなら、日本の国際的な地位は劇的に低下するだろう。

 日本が取るべき道は、対米協調を基調としながらも、アジアや国際機関を舞台に外交の多極化を積極的に進めることである。その際、将来の米中二極時代も視野に入れ、その流れにいかに絡み、どう国益を確保していくかという戦略的視点が欠かせない。

 例えば、日米中3カ国による定例首脳会議の設置に向けて日本がイニシアチブを取り、得意とする環境・エネルギー分野、アフリカ問題などで積極的に提言することで、米中双方への影響拡大を狙うというのも選択肢の一つだろう。(外信部)

日本経済新聞社説「麻生首相は公務員改革を後退させるな」

日本経済新聞社説 麻生首相は公務員改革を後退させるな(1/17)

 麻生内閣の下で公務員制度改革が後退するのではないかとの懸念が強まっている。自民党行政改革推進本部の公務員制度改革委員会(石原伸晃委員長)が政府の方針に異を唱え、天下りに関する政令の再検討を求める方針を決めたのが、その象徴的な出来事である。

 政府は昨年末に閣議決定した「職員の退職管理に関する政令」で、国家公務員OBが公益法人などへの再就職を繰り返す「渡り」のあっせんを容認する規定を盛り込んだ。しかし公務員制度改革委員会の議論では、官僚OBが「渡り」を繰り返して多額の退職金をもらうことなどに批判が集中した。

 政府は「渡り」が認められるのは「極めて例外的」(河村建夫官房長官)として、見直しには応じない考えだ。だが「渡り」は有権者の理解を得られまい。抜け道になりかねない規定はそもそも不要であり、撤回するのが筋である。

 安倍内閣で成立した改正国家公務員法では、各省庁があっせんしている天下りを廃止して、官民人材交流センターがその役割を担うことに改めた。経過期間の3年間は、首相の委任を受けた再就職等監視委員会の承認を条件に、各省庁のあっせんを認めることになっていた。

 官民人材交流センター構想に反対した民主党が、監視委員会の委員の国会同意人事を認めず、監視委が立ち上げられなくなったため、迷走が始まる。政府は苦肉の策で、退職管理に関する政令で、監視委が発足するまでの間は首相が権限を行使すると読み替えた。民主党はこの読み替え自体を批判している。

 「渡り」容認の規定は、霞が関がこの機に乗じて盛り込ませたものだ。公務員制度改革委は重要な政令を党にはからずに閣議決定した手続きも問題視している。「渡り」の規定の是非を政府内で真剣に検討した形跡がないのは深刻な事態である。首相の求心力が低下し、霞が関にあなどられているようにみえる。

 自民党を離党した渡辺喜美元行政改革担当相は江田憲司衆院議員とともに記者会見し、「脱官僚」や「地域主権」などを掲げた政策集団を設立すると発表した。渡辺氏は自民党にいたころから「渡り」のあっせんを全面禁止するよう求めていた。

 次期衆院選で民主党は天下りの禁止を掲げる方針で、公務員制度改革は大きな争点になる。首相は2011年度からの消費税の増税を訴える考えだが、その前提として行財政改革の徹底は不可欠だ。公務員制度改革への強い決意を示す必要がある。


首相、一転腰砕け 公務員改革『渡り』例外容認(東京新聞)

 官僚OBが天下りを繰り返す「渡り」のあっせんを禁止する方針を打ち出した麻生首相が九日、例外として承認する場合があることを認めた。公務員制度改革に積極的な姿勢をみせるはずが、結局は「官僚答弁」から脱することはできなかった。

 首相は八日の衆院予算委員会で、渡りのあっせんについて「原則廃止の方向だ」と強調した。それが一転、九日の予算委では、企業などから「国際機関での勤務経験が極めて豊富」などの条件で引き合いがあった場合は、例外的に承認することも「あり得る」との認識を示した。

 昨年末施行の改正国家公務員法は、天下りあっせんを官民人材交流センターに一元化し、渡りを含む省庁のあっせんを禁止した。

 議論を呼んでいるのは、三年間の移行期間中の対応だ。同法は経過措置として、渡りを含む省庁あっせんを認めている。昨年末に公布された「職員の退職管理に関する政令」は同法より踏み込んで、移行期間中でも渡りを原則禁止にしたものの「必要不可欠の場合」には容認する例外規定が盛り込まれた。

 野党は、例外規定の削除を要求。首相は公布したばかりの政令の改正に踏み切れず、逆に官僚の振り付け通り「必要不可欠の場合」の具体例を説明。かえって改革に後ろ向きな印象を与えてしまった。 (佐藤圭)

さようなら「ムーミン」電気機関車

さようなら「ムーミン」電気機関車 群馬でラストラン(朝日新聞)

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秩父鉄道の蒸気機関車「C58」(右)と並んでさよなら運行に出
発する電気機関車「EF55」=18日午前、群馬県高崎市、関口
聡撮影


 丸みを帯びた風貌(ふうぼう)から「ムーミン」の愛称で親しまれた電気機関車「EF55」のサヨナラ運行が18日、群馬県のJR高崎駅―横川駅間であった。

 出発式のあった高崎駅2番ホームには、花道の見届け役にと秩父鉄道から借り出された蒸気機関車「C58―363」の姿も。神奈川県小田原市から自家用車で3時間半かけて来た会社員芦間浩さん(46)は「指定券の予約が全然とれませんでした。最後なので見るだけでもと思って」と家族4人と陣取った。午前10時36分、EF55が約500人が乗る客車6両を力強く引っ張ってホームを離れると、拍手がわいた。

 EF55は流線形がもてはやされていた時代の1936年にデビューした。JR東日本が保有する電気機関車としては最も古いという。

麻生首相年頭会見

解散時期、今春以降を明言…首相年頭会見(読売新聞)

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年頭記者会見で自らしたためた書を掲げる麻生
首相(4日、首相官邸で)=田中成浩撮影


 麻生首相は4日午前、首相官邸で年頭の記者会見を行い、衆院解散・総選挙について、「急ぐべきは景気対策ということははっきりしている。まずは予算と関連法案を早急に成立させることが重要で、それまで解散を考えていることはない」と述べ、2009年度予算案と関連法案の成立が見込まれる今年春以降とする考えを明言した。

 民主党との「話し合い解散」については、「考えていない」と改めて否定したうえで、「(解散時期は)総理大臣、麻生太郎が決断する」とし、自らの判断で解散に踏み切る意向を強調した。

 同時に、「(次期衆院選の)争点ははっきりしている。効果的な経済対策、景気対策、生活対策を迅速に打てるのは政府・自民党だ」とも語った。

 首相は冒頭、記者会見場に用意した色紙に、毛筆で「安心活力」としたため、国民生活の安心と活力の向上に全力を挙げる決意を示した。

高額所得者にも給付金 政府転換

高額所得者にも給付金 政府転換、受給促す(東京新聞)

 河村建夫官房長官は六日午後の記者会見で、総額二兆円の定額給付金の所得制限問題に関し「内需拡大が景気に最大の効果があるというふうに経済情勢が大きく変わった。そういう視点を持たなくてはいけない」と従来の姿勢を転換し、内需拡大の観点から高額所得者にも受給を促す考えを表明した。 

 麻生太郎首相も同日夜、官邸で記者団に、自身が給付金を受け取る可能性について「まだ判断していない。(給付金支給の法案が通った)その時になって考えたい」と受け取りに含みを残した。

 首相はこれまで、自らを含む高額所得者の受給について「人間の矜持(きょうじ)の問題」と自発的な辞退が望ましいとしてきた。政府の姿勢転換に伴い自身の対応も軌道修正した。給付金をめぐる政府・与党内の迷走が再燃した格好だ。

 自民党の細田博之幹事長が同日午前の政府与党連絡会議で「給付金は景気対策なので国会議員も辞退するのではなく、もらって使うべきだ」と指摘。首相も「消費刺激という点に意義がある。みなさん方には使ってほしい」と国会議員の受け取りに理解を示した。

 政府・与党は所得制限を設けるかどうかの判断を市町村に委ね、所得制限を設ける場合は年間所得千八百万円を下限とした。議長と副議長を除く国会議員の議員報酬は約二千万円。

派遣切り、限界集落…そこに「共産党」―ルポにっぽん

派遣切り、限界集落…そこに「共産党」―ルポにっぽん(朝日新聞)

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「切られているのは人間です」と書かれたビラを配る。受け取る
とすぐ、歩きながら読み始める人もいた=名古屋市東区、岩下
毅撮影


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「雇用大破壊は、政治が引き起こした『政治災害』だ」。スクリー
ンには志位委員長の演説が映し出されていた=名古屋市東区
、恵原弘太郎撮影


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共産党に入党したお年寄りの女性は「家の
前の畑を作っている時が一番幸せ」と話す
=奈良県川上村、高橋純子撮影


 「派遣切りは許せません」

 1月5日午前8時。三菱電機名古屋製作所(名古屋市東区)前で出勤してくる従業員にビラを配る人の中に、佐藤剛さん(仮名)がいた。

 キャバクラ嬢のスカウトや客引きの経験があるというだけあって、声がよく通る。両手をポケットに突っ込んだまま完全無視を決め込む人には少しカチンとくるが、よく考えたら自分も1カ月前まではああだったな、と思う。

 昨年12月5日夕。仕事を終え家路を急いでいると、「ハケンギリ」という言葉が耳をかすめた。出所を探し、辺りを見回す。ビラを配っている人たちがいることに気づき、引き返して、もらった。

 その3日前、まさに切られた。5月から三菱で派遣社員として働き、2月末までの雇用契約を更新したわずか3日後、1月9日付での解雇と寮からの退去を通告された。

 北海道出身の33歳。地元の高校を卒業後、職を転々とし、3年半前に愛知県へ。三菱では1日約8時間、製品検査などの流れ作業をこなした。手取りは月約10万円。

 寮の自室でビラを開いた。「派遣・期間工・契約社員でも期間途中の一方的解雇は違法」に衝撃を受けた。

 正社員でないから「雇用の調整弁」扱いされることは覚悟していた。解雇を通告された時、真っ先に去来したのは「予想より早かったな」というあきらめだった。何の補償もなく職も家も奪われて放り出されても、派遣だから仕方ないかと思っていたが、そうか。だまされてたんだ――。

 「やり方が汚い」。このまま泣き寝入りしたくない。携帯電話を取り出し、ビラに載っている番号を押した。そこには「相談はどんなことでも日本共産党へ(無料)」とあった。

 翌日、共産党の名古屋北西地区委員会で、専従職員の石田進さん(36)に相談に乗ってもらった。1人でも誰でも入れる労働組合をつくり、三菱や派遣会社と闘っていくことを決めた。1週間後、石田さんに入党を誘われた。選挙には一度も行ったことがない。ただ、派遣労働を原則自由化する99年の法改正に唯一反対したと聞き、「入れて下さい」と即答した。

 「年末より人が減ってませんか」。5日、三菱の前での新年初のビラ配りの合間に佐藤さんが耳打ちすると、石田さんは「派遣の人が相当切られてる感じだね」。それでも1時間で500部のビラがはけた。1年前は20部がやっと。昨秋以降、空気が劇的に変わったという。

 昨年12月下旬、佐藤さんらは「名古屋北部青年ユニオン」を立ち上げ、三菱に団体交渉を申し入れた。同じように派遣切りにあった人から連日、「声をあげてくれてうれしい」「私も闘いたい」というメールがユニオンに舞い込む。自身は寮にとどまって次の職を探している。先行きは明るくない。

 こんなゆがんだ社会はいつか根底から変わらざるを得なくなるぞと夢想してきた。しかし、傍観者としてその時を待つより、自ら動いた方がはるかに楽しい。

 「社会を変えたい。オバマじゃないけど、『チェンジ』ですよ」

 ■誰かに聞いて欲しかった

 昨年12月、名古屋市のうどん屋で、共産党員になったばかりの増山雅一さん(43)と向き合った。「いっぱい食べて下さい」。定食をすすめると、「ギリギリの生活で、すっかり胃が小さくなっちゃって」とおなかをさすった。

 5年前から派遣社員として全国を回ったが、昨年9月、次の職場が見つからずホームレス状態に。何とか以前いた会社に戻ったものの、人減らしで仕事量が倍増していた。腱鞘(けんしょう)炎や胃痛になっても、国民健康保険料を滞納していて病院に行けない。夜勤中、製品を持ったまま失神すると、正社員は「気をつけてよ。高いんだから」。そこも10月で切られた。

 昨年11月24日、金策のため故郷・栃木へ向かった。途中、弟から携帯に電話が入り、静岡県・浜名湖畔の駅で下車。口論になってホームで泣き叫んで……そこから記憶がない。気づいたら駅の事務室にいて、駅員から「線路を渡って新幹線に飛び込もうとしていたので取り押さえた」と教えられた。

 生きるしかない、でもそのすべがわからない。ふと「困ったことがあったら共産党に行け」という叔父の言葉を思い出し、地区委員会を訪ねた。

 東京の有名私大を卒業してカード会社に就職したんですが、8年で辞めました。父親が借金苦で自殺したのに債権回収の仕事に回され、心と身体が壊れちゃって。でもあの時、栃木に戻らず東京で次の職を探していればこんなことには――。話し出したら止まらなかった。誰かに聞いて欲しかったんだ、と気づいた。

 入党を勧められた時、わが身すら支えられない劣等感もあって二の足を踏んだ。でも「同じ境遇の人に『一人で悩まないで』と呼びかけて」と言われ、「自分も何かの力になれるかな」と決意した。現在、家を失った人の自立支援施設からパートに出ている。

 「今月末で自主退職して下さい」。愛知県に本社を置く住宅会社の営業マン、藤川修さん(43、仮名)は昨年11月末、人事担当者にこう言い渡された。会社は前年比130%の増収で、社長を含め社員は4日前にグアム慰安旅行から帰ってきたばかりだった。

 上司や同僚は見て見ぬふりを決め込んだ。当事者もバラバラで、「連帯して会社と闘うなんて、とてもできなかった」。これまで仕事だけちゃんとやっていればいいんだと思って生きてきた。だが、自分と社会の両方を考えなければダメだ、と思い知った。

 共産党に投票したことは一度もない。05年総選挙は「自分の言葉を持っている小泉さんのファンだった」から自民党に入れた。昨年9月、インターネットで志位委員長の演説を聴き、「いいこと言ってるな」と、しんぶん赤旗の見本紙を注文していた。会社が退職金に給与1カ月分上乗せなどの条件をのんだので退職し、入党した。

 ■悲鳴拾えぬ二大政党

 「共産党をよく思っていなかった人も、『助けてくれるのはもうここしかない』と勇気を振り絞って接触してくるようになった」。ある地区委員会の幹部は言う。

 自民党に電話したら「一般市民の相談には応じない」と言われたという失業中の40代の女性。派遣切りで役所に相談に行ったら「そういうことなら共産党に」と勧められたという32歳の男性。「退職を強要されたが、役所も労組も閉まっていて、土日も相談に乗ってくれるのは共産党だけだった」という25歳の男性……。まるで現代の「駆け込み寺」だ。

 小選挙区制導入後、自民、民主の二大政党制が進んだ。しかし、「働く貧困層」のような新たな課題、地域固有の切実な問題に、政治はこたえきれていない。生活がそれなりに回っている時、不当に扱われて不満があっても、多くの人は抗議の声をあげなかった。だが、がけっぷちに立たされ、声を上げるしかない状況に追い込まれた時の足がかりとして、全国に約2万2千の支部を置く共産党やNPOのドアがノックされている。

 「仕事の悩み、一緒に解決しましょう」。共産党も2年ほど前から、街頭でまくビラを雇用問題に焦点を当てたものにするなど工夫をこらしている。実際、インターネットの検索エンジンに、「雇用」「派遣切り」「リストラ」といったキーワードを入れると、共産党のページが上位に並ぶ。それを読んで電話してくる人も多い。

 「でも、彼らの政治的な受け皿が共産党しかない、みたいな今の状況は……」。私が言葉を継ぐのをためらうと、先の幹部は「それは、悲劇ですよ」と引き取った。

 党員増を喜んでばかりもいられない。彼らと手を携え、実際に政治を動かしていけるのか。

 「共産党もまた、試されているのです」

 ■山村の高齢者も続々

 奈良県橿原市からレンタカーに乗って約1時間半。国道169号を左に折れ、車1台通るのがやっとの山道に入る。ヘッドライトの光は夜の闇にのみ込まれて頼りなく、一向に視界は開けないのに、カーナビはここが目的地周辺だと告げて勝手に案内を終了してしまった。恐怖心を抑え、10分と少し進む。ようやく、人家の明かりが見えた。

 奈良県川上村井光(いかり)。住民95人のうち67人が65歳以上という「限界集落」だ。昨年3月以降、60~85歳の計10人が新たに共産党員になった。

 夫婦で入党した前北均さん(79)の自宅に昨年11月末、同じように入党した女性3人が集まった。みんな元山林労働者で、労組の関係から旧社会党を支持していたという。入党したのは、井光に住む村唯一の共産党村議、塩谷章次さん(63)に頼まれたから。塩谷さんに誘われ、マイクロバスで党幹部の講演を聴きに行き、親近感も抱いていた。

 「こないだの志位さんの話は、思わず身を乗り出すほどええ話やったねえ」

 「ほんまやな。ま、家に帰ってきたら全部忘れてしもとったけどな(笑)」

 別に共産党でなければならないわけではない。ただ、自分たちの不満や不安に耳を傾け、つながりを持とうとしているのは共産党しかない、と感じている。

 時折、塩谷さんが共産党の政策やビジョンを語るが、すぐにまた話は、いかに生活が大変かに戻る。後期高齢者医療制度の保険料負担が重い。民営化で郵便配達員にお金を預けられなくなった。自家用車がないと、病院に行くにも年金を引き出しに行くにもタクシー代がかかる……。

 村には高校がない。子どもは15歳で村を離れ、それきり戻って来ない。かつては吉野杉の産地として知られたが、安い外材に押され低迷。65年に7200人いた人口は、2千人を切った。今春、中学生が卒業すると、井光には子どもがいなくなる。「10年後、ここは消滅してるかもな」。掘りごたつを囲んでいた陽気な笑い声が沈黙に変わった。

 川上村の衆院奈良4区は、次の総選挙で自民と民主の一騎打ちとなる見込みだ。水面下で「選挙区は民主、比例は共産」という「選挙協力」が進む。主導しているのは、村の元森林組合長(85)。50年来の自民党員だが、郵政民営化を契機に民主党支持に変わった。「民営化は必ず、地方や弱者の切り捨てにつながる」。共産党に投票することに抵抗感はないという。

 「自分の考えを持って行動しないと、村も政治もよくならないと思うようになった。それがなかったら、惰性で死ぬまで自民党支持だったかもしれない」(高橋純子)

 ■党員も「赤旗」購読者も増加傾向

 共産党広報部によると、党員数は90年の約50万人をピークに減少。94年以降は40万人前後で推移していたが、07年9月から昨年12月末までの間に約1万4千人が新たに入党した。低迷を続けた機関紙「しんぶん赤旗」の購読者数も昨年5月以降、8カ月連続で増え、新規購読者は約2万人に上る。

ワークシェアリング浮上してきたが…労使「同床異夢」

ワークシェアリング浮上してきたが…労使「同床異夢」(朝日新聞)
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労使フォーラムで講演する日本経団連の御手洗冨
士夫会長=8日午前、東京都港区のホテル


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労使フォーラムで講演する連合の團野久茂副事務
局長=8日午後、東京都港区のホテル


 従業員が仕事を分け合うワークシェアリングが、雇用対策の焦点に浮上してきた。日本経団連の御手洗冨士夫会長は8日の「労使フォーラム」で雇用確保策の一つとして言及。連合の高木剛会長も5日の記者会見で触れた。だが、ワークシェアリングの前提として賃金引き下げを念頭におく経営側と、雇用創出を重視する労働側の隔たりは大きい。「同床異夢」の中、議論はどこまで深まるか。

 ■経営側は賃金下げ念頭、労働側は雇用創出重視

 春闘を前に、労使450人が参加して労働条件などを議論した「労使フォーラム」。御手洗氏は基調講演の中で「緊急的に時間外労働や所定労働時間を短くして、雇用を守ることを検討する企業が出てくるかもしれない」と述べた。6日の記者会見に続き、ワークシェアリングが雇用対策の選択肢の一つであるとの考えを改めて示したものだ。

 高木氏も5日の年頭会見で「雇用に関しては、テーマの一つとしてワークシェアリングの話も出てくる」と述べており、ワークシェアリングが雇用対策を巡る労使双方のキーワードになってきた。

 とはいえ、同じ言葉を使いながらも、労使の考え方は大きく違う。

 御手洗氏の発言は、労働者の賃金引き下げを念頭においたもの。不況期における緊急の失業対策として、「労働者の賃金は下がるが、雇用は確保する」という考え方だ。ワークシェアリングの対象も個別企業の正社員を念頭においているとみられる。

 一方、連合が想定しているのは、パートや派遣社員など非正社員も含め、産業全体で仕事を分け合う姿だ。賃金引き下げを視野に入れる経営側の前提についても、今春闘でベースアップ要求を掲げる連合としては応じられない。

 高木会長は「雇用形態が違っても、同じ仕事をしていれば同じ賃金を払う制度の導入が前提」として、非正規も含めた労働時間や賃金配分を考えるべきだとしている。だが御手洗会長は8日の講演で、「同じような仕事でも生み出される付加価値が各社で違う」と指摘し、「同一価値労働・同一賃金や産業横断的な賃金という議論にはくみしない」と明言し、真っ向から対立した。

 ■過去にも議論、「時間が必要」慎重論も

 ワークシェアリングは過去にも議論された。完全失業率が5%台と雇用情勢が悪化した02年、政府、旧日経連、連合の3者が導入に合意した。従業員同士が労働時間短縮と賃金引き下げを受け入れることで企業内の雇用を守る「緊急対応型」、短時間労働者を増やすことで新規雇用を創出する「多様就業型」が提案された。さらに政府は導入を促すため、財政支援も行った。

 だが、労働側は賃下げを警戒し、経営側も労働時間管理の難しさに対する懸念がぬぐえず、財政支援を受けた導入企業はわずかだった。

 こうした経緯もあって、労使双方からは早くも異論が飛び出している。

 日本商工会議所の岡村正会頭は8日の定例会見で、「議論を開始するのは賛成だ」としたうえで、「賃金体系や企業文化の大変革を伴う問題で結論を得るには数年かかる。現下の問題を解決するには、非正規雇用者のセーフティーネット(安全網)強化や新しい仕事の創出(による雇用増大)だ」と述べ、ワークシェアリングは雇用対策の「即効薬」にはなりにくいとの見方を示した。

 8日の労使フォーラムで講演した連合の團野久茂・副事務局長も、記者団に御手洗氏の発言について問われ、「社会的責任(を果たす考え)のもとで提案されているのなら協議には応じる」としつつも、「ワークシェアリングの議論には時間がかかる。ましてや賃上げ抑制が目的ならば乗れない」と警戒感を表明した。(冨田佳志、諸麦美紀)

【ガザ侵攻】イスラエル軍地上戦を開始

【ガザ侵攻】イスラエル軍、ガザ侵攻でハマス応酬  戦闘激化(産経新聞)

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3日、パレスチナ自治区ガザへの地上侵攻を目前に控え、
ガザとの境界付近に集結するイスラエル歩兵(AP)


 【カイロ=村上大介】イスラエル軍は3日夜(日本時間4日未明)、パレスチナ自治区ガザ地区への地上侵攻を開始した。ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスによるロケット弾攻撃の阻止を理由としたイスラエル軍のガザ攻撃は大規模空爆開始から8日目にして地上侵攻という新たな局面に入った。

 現地からの報道によると、ガザ地区周辺に集結していた戦車部隊などイスラエル軍の地上部隊はガザ地区北部のヘイトラヒヤ付近など4カ所から一斉に突入し、ハマスとの間で激しい交戦が始まった。

 フランス通信(AFP)によると、イスラエル軍報道官は侵攻開始から数時間の戦闘で、ハマスの戦闘員数十人を殺害したと発表。これに対して、ハマス側も複数のイスラエル兵が死亡したと主張しているが、双方の死者数などは確認できていない。一方、ガザ地区の医療関係者は、戦車による攻撃でパレスチナ人の子供1人が死亡し、11人が負傷したとしている。

 イスラエル首相府は「ロケットが発射されている地域の制圧が目的であり、イスラム原理主義者(ハマス)に手痛い打撃を与える」との声明を発表した。また、バラク国防相は「作戦遂行は簡単ではなく、短期間で終わるものではない」と述べ、戦闘長期化を示唆した。イスラエル軍は地上侵攻開始に先立ち、数千人の予備役を招集した。

 これに対し、ハマスは「ガザ地区はイスラエル軍の墓場になるだろう」との声明を出し、徹底抗戦の構えを示している。

 戦闘が長引けば、すでに壊滅的な状況に陥っているガザ住民の人道状況がさらに悪化するのは必至であり、約150万人が住む世界有数の人口密集地での地上戦は、8日間にわたる大規模空爆以上の被害を一般住民に出すとの懸念が広がっている。市街戦となれば、イスラエル兵にも多数の死者が出ることが予想される。

 イスラエル軍が地上侵攻を開始した3日夜までの8日間に出たパレスチナ人の死者は少なくとも453人にのぼり、負傷者も2000人を大幅に上回っている。


さよならパノラマカー 名鉄7000系

さよならパノラマカー 名鉄7000系、26日で引退(朝日新聞)

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名鉄名古屋駅に到着した7000系パノラマカー=名古屋市中
村区で、山吉写す


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7000系パノラマカーの先頭車両の眺め。多くの乗客がカメラ
で撮影していた=名鉄名古屋線豊明駅、山吉写す


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誕生当時の7000系パノラマカー。現在とは先頭の形が異なり、
中央に「フェニックス」のマークがついていた=名鉄提供


 名古屋鉄道のシンボルとして47年間活躍してきた列車「7000系パノラマカー」が26日、定期運行から引退する。列車の先頭で眺望を楽しめる国内初の「前面展望車」、独特のメロディーの警笛「ミュージックホーン」など、先進性はいまも色あせていない。「0系新幹線」とともに高度成長の時代をしのばせる名車だ。

 パノラマカーはダイヤ改定前の26日まで、名古屋線や犬山線などで毎日上下10本程度運行している。百八十度の眺めを楽しめる先頭車両の前側の座席は平日の昼間でも満席状態だ。駅のホームや踏切にも、カメラを構えたファンが待ちかまえる。

 名古屋市中川区の小学6年生、大野晃平君(12)は幼いころに祖父と乗って以来の大ファンだ。「先頭に座ると、まるで運転士になったような気分になれる」

 鉄道ファンの全国組織「鉄道友の会」名古屋支部事務局長、石川雅文さん(52)は「いまだになくなるのが信じられないくらい、当たり前の存在だった」と惜しむ。70年代から、四季の風景にパノラマカーを交えた写真を撮り続けてきた。支部で7月に1編成を借り切って運行したところ、関東から九州まで500人もの応募があった。「『こんな列車に乗りたい』というファンの夢が具現化されている。いまでも古めかしさを感じさせない」と話す。

 「乗せてやる列車ではなく、乗って楽しい列車にしよう」。パノラマカーの構想は、鉄道技術者と鉄道ファンがビールを酌み交わして議論する中で育ったと、元大井川鉄道副社長の白井昭さん(81)は振り返る。

 白井さんは名古屋工業専門学校(現・名古屋工大)を卒業して名鉄に入社。1958年から3年間、開発にかかわった。東海地方は59年、死者・行方不明者5千人余の伊勢湾台風に襲われたが、開発がとまることはなかった。「高度成長のパワーに押されるようだった。いまだったらできなかっただろう」

 白井さんにとって鉄道の原風景は市内電車だ。機関車が引っ張る国鉄の列車と違い、市内電車は運転台と前の景色がよく見える。マイカーの普及という脅威も迫っていた。負けられない思いを込め、前面展望車を作ったという。

 あれから47年。「花形列車の命は、本来短いものだ。本当は20年ぐらい前に休ませてやりたかった」と複雑な思いもある。11月、白井さんはテレビの取材で久しぶりにパノラマカーに乗った。そばで6歳ぐらいの子どもとおじいさんが並んで座り、うれしそうに車窓の風景を眺めていたという。「これこそ夢見た光景だった。世代を超えて楽しんでもらえる列車をつくりたかったんだから」

 運転席が2階にあるパノラマカーは運転士にとっても眺めがよく、「乗って楽しい」列車だった。運転歴16年の運転士、小原一芳さん(39)は小学生のころ、木曽川にかかる犬山橋で「楽しそうに歌う電車」が走っていたことを覚えている。駅員と車掌を経て初めてパノラマカーの運転台に乗った時、当時のころの記憶がよみがえった。

 運転で気を使うのは、ミュージックホーンと電気音の警笛(電笛)、圧縮空気による警笛、ヘッドライトと4種類もあるペダルだった。「名古屋駅に入る時、ミュージックホーンに続けて電笛を鳴らし、同時にブレーキをかけるのがコツ。特に休日は、車内で子どもたちが喜ぶ声が運転台にも響いてきた」

 だが、新しい部品の調達は難しくなった。全車両にモーターがついているため、より電気量もかかり、省エネの時代にも合わなくなった。「時代の流れだけど、長年の名鉄の顔だっただけに運転できなくなるのは惜しいですね」

 ■小田急「ロマンスカー」より2年早く

 前面展望の列車は名鉄パノラマカーだけでなく、小田急電鉄の「ロマンスカー」も知られている。前面展望のロマンスカーは、いまも8編成が小田原線や江ノ島線で活躍しているが、誕生はパノラマカーの方が2年早かった。

 パノラマカーには61年の7000系以来、多くの「兄弟」が登場した。63年、外観は7000系とよく似ているが、省エネで加速性能も向上させた「7500系」ができた。さらに80年代には運転台を客席の下にした前面展望車「8800系パノラマデラックス」「1000系パノラマスーパー」もつくられた。

 名鉄は7000系以来、特急列車に「パノラマ」の愛称を冠してきたが、05年の中部空港開港に伴って導入された「2000系ミュースカイ」からは「パノラマ」の名が消え、前面展望車もつくられていない。

 7500系と8800系はすでに廃車となっており、1000系も7000系と同じ今月26日で定期運行から外れる。しかしおなじみの「ミュージックホーン」のメロディーだけは、新しい特急列車たちに受け継がれている。

 7000系はしばらくイベント用の臨時列車として使われ、09年中に完全引退する予定だ。その後は愛知県岡崎市の舞木検査場で保存されることが決まっている。(山吉健太郎)

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